日本ワインの基礎知識

「日本ワイン」とは

「日本ワイン」とは、日本国内で栽培されたぶどうを100%使用して日本国内で醸造されたワインです。
日本ワインの特徴はその多様性です。日本を代表する白ワイン用品種の「甲州」や、赤ワイン用品種の「マスカット・ベーリーA」などの日本固有の品種に加え、アメリカ原産ラブラスカ種との交配種、さらに近年はシャルドネ、メルローといったワイン専用種も導入され、幅広い品種から多様な味わいのワインが造られています。
全般的な味わいの特徴は、日本の伝統的な料理と同じく、「繊細さ」です。まさに和食と日本ワインはこの繊細さにおいて相性の良さを発揮します。すし、てんぷら、スキヤキに最高にあうワインが日本ワインです。

産地

日本列島は南北に長く伸び、盆地、山間部、丘陵部、海岸近くなど様々な場所でぶどう栽培が行われています。
各地の気候は大きく異なり、ヨーロッパの主要産地と比較すると全般に雨量が多く多湿な環境にあります。北部の積雪が1メートルを超える北海道から、夏は最高気温が30度を超える日が続く九州まで年間気温の幅が広いといった環境で、それぞれの地にあった栽培方法への取り組みが行われ、各地で良質なぶどうが生産されています。
日本全国でワインが造られていますが、主な産地は山梨、北海道、長野、山形、大阪です。

品種

主要品種は、白が日本固有種の「甲州」、赤が日本でラブラスカ種とヴィニフェラ種から交配され、やはり固有種といえる「マスカット・ベーリーA」です。1970年代後半からヴィニフェラ種の導入が本格的に始まり、メルロ、シャルドネは権威ある国際コンクールで毎年のように受賞しています。ほかにも赤品種ではカベルネも栽培され、シラー、ピノ・ノワールはまだ栽培面積は取るに足りないものの、チャレンジする生産者が増えてきました。白品種ではケルナー、ソーヴィニヨン・ブランが注目されています。
また、多湿な環境に合わせて山ぶどうとの交配種が開発され沿岸部や冷涼地で栽培されています。19世紀末に生食用に導入されたラブラスカ系のナイアガラ、コンコード、デラウエアなどからもビギナー向けのワインが造られています。
「甲州」のワインはグレープフルーツ、レモンなどの柑橘の爽やかな香りと、穏やかな酸味が特徴でアルコール度数が比較的低い軽やかなワインです。
「甲州」は、6~7世紀頃にシルクロードを通って中央アジアから中国にもたらされ、奈良時代、仏教とともに中国から日本に伝来しました。日本の風土に適応し、主に生食用に栽培されていましたが、現在は日本ワインに最も多く使用される品種になっています。
近年の研究で甲州のDNAを解析したところ、大部分はヴィニフェラですが、1/4中国の野生ぶどうのDNAが含まれているハイブリッドであることが明らかになっています。
「マスカット・ベーリーA」のワインはチェリーやベリー系果実の香りと、果実味あふれる味わいが特徴です。
なお、2010年に甲州が、2013年にマスカット・ベーリーAが国際ブドウ・ワイン機構(OIV)にワイン用ぶどうとして登録されました。これにより、EUへ輸出するワインのラベルにこれらの品種名を記載することができるようになりました。

日本のワインの歴史

ワイン造りの始まり

日本のワイン造りはまだ歴史が浅く、今から約140年前の明治時代、すでに生食用ぶどう栽培が盛んであった山梨県の2人の青年がフランスでワイン造りを学び、帰国後に国産最初のワイン会社を設立したことから始まります。
明治政府は殖産興業政策の一環として、ぶどう栽培・ワイン醸造振興策を加えました。当時、日本は米不足でしたから、米からの酒造りは節減したい意向が強かったのです。政府はヨーロッパ、アメリカからぶどう苗木を輸入し、山梨県をはじめ各地でぶどう栽培とワイン醸造を奨励しました。
以下に主な先人たちの活動を記します。

  •  明治7年(1874年)
    甲府の山田宥教(ひろのり)、詫間憲久(のりひさ)が、書物や来日外国人から伝授された知識によりワイン醸造を試みました。
  •  明治10年(1877年)秋
    ワイン醸造法習得のため、日本人として初めて土屋龍憲(りゅうけん)、高野正誠(まさなり)の二人がフランスに留学しました。帰国後、この二人に加えた宮崎光太郎は国産最初のワイン会社「大日本山梨葡萄酒会社」でワイン造りに力を注ぎます。
  •  明治24年(1891年)
    越後高田の川上善兵衛は岩の原葡萄園を開設し、日本の風土に適したぶどうの品種改良に情熱を傾けました。
  •  明治34年(1901年)
    神谷伝兵衛が茨城県牛久でワイン醸造を開始し、明治36年(1903年)にフランス様式の牛久シャトーを完成させました。
  •  明治37年(1904年)
    小山新助が山梨県に登美葡萄園の造成を開始して、この葡萄園は 後に鳥井信治郎が買収しました。
  •  昭和2年(1927年)
    前述の川上善兵衛はマスカット・ベーリーAを交配し、日本のぶどう栽培とワイン造りに大きな貢献をされました。

こうした努力がありましたが、本格的なワインは当時の日本の食生活には受け入れられず、甘口で飲みやすい甘味果実酒の原料ワインとしてワイン造りが続いていました。

消費の拡大

テーブルワインの消費に動きが出てきたのは昭和39年(1964年)の東京オリンピックの頃からです。
以来、日本におけるワイン消費は幾つかのいわゆるワイン・ブームをとおして急激に伸びた後、足踏みをしながら階段を少しずつ上るように伸びてきました。
第1回目のワイン・ブームは昭和45年(1970年)の大阪万国博覧会を契機とした高度経済成長期の頃です。日本人の食生活の洋風化により、ワインの消費は増大し、昭和50年(1975年)にはワインの消費量は甘味果実酒を上回りました。
その後、昭和53年(1978年)千円ワイン・ブーム、昭和56年(1981年)一升瓶ワイン・ブーム、昭和62年(1987年)ボージョレ・ヌーヴォー・ブーム、平成9年(1997年)赤ワイン・ブーム、平成22年(2010年)からは家飲みやワインバルが定着するなど、幾つかのブームを経験しながら今日に至っています。
しかし、酒類市場全体からみると、果実酒販売数量のシェアは4.4%(平成30年度)とまだまだ低い水準です。

【参考】

近年の動向

平成15年(2003年)から開催されている国産ワインコンクール(現:日本ワインコンクール)は、全国各地のワイン製造者に大きな刺激を与え、また、消費者の皆様からも日本ワインが大きく注目されるきっかけとなりました。
審査員からは回を重ねるごとに品質の向上がはっきりと見られるとのコメントもあり、日本ワインの中には海外のコンクールで金賞を受賞できる品質のものが出てきました。
ここ数年の動きとしては、新規ワイナリーの設立ラッシュのような状況が続き、新規就農でぶどう栽培を始めて、将来的にワイナリー設立を目指す農業者の方が増えています。
国税庁の「国内製造ワインの概況」(平成30年度調査分)によると、平成31年度3月末現在で生産・出荷実績のあるワイナリー数は331場となっています。